今回は、雛人形、五月人形を中心に展示しました。雛人形の展示は、多くの美術館で開催されています。それらと比べると、今回の展示は、量的には少々見劣りします。 しかし、全て柏原家か黒江屋に関係するものであるという点はユニークではないかと思っています
○涌のお雛様 今回の展示のメインとなる雛人形(写真1)は、約二百年ほど前のものです。女雛(写真2)の敷物の裏に「涌(わく)」(写真3)と書かれていますが、「涌」とは、柏原家八代目主人の夫人です。涌は三井高祐(たかすけ)の娘で、この雛人形は、嫁入り前に三井家で誂えたものと推定できます。江戸時代の商家の雛人形で、所有者が分かり、制作時期が推定できるものは、珍しいのではないかと思われます。雛人形ではありませんが、三つ折れ人形のなかに、涌のものと思われるものがありますので、それも展示しました。 男雛、女雛に、三人官女(写真4)、随身、五人囃子、仕丁(しちょう)が付随していますが、仕丁の箱には大正二年に新調されたことが記されています。五人囃子も後に付け加えられたものと思われます。雛屏風の鳳凰図は三井高福(たかよし)が描いたものです。
○五月人形 応神(おうじん)天皇と武内宿禰(たけうちのすくね)(写真5)をメインに展示しました。応神天皇は十五代天皇で、武内宿禰󠄀はその側近です。天皇の父は仲哀(ちゅうあい)天皇、母は神功(じんぐう)皇后です。八幡神(やわたのかみ、ハチマンシン)として武士に崇められ、その延長線上に、五月人形として飾られるようになりました。現在では、ほとんど見かけませんが、戦前の京都ではよく見られたそうです。今回展示したものは、明治末年から大正初期のもので、柏原家十代目主人が幼少の頃、誂えたものではと推定しています。今回が初めての展示です。
○祐信の絵本 十八世紀前半の京都に、西川祐信(すけのぶ)という画家がいました。絵本の挿絵画家として活躍しましたが、当時の京都の風俗、特に女性の風俗を描くのを得意にしていました。その中に、いくつか雛祭りが描かれていますが、『絵本和泉川(いずみかわ)』(寛保2年・1742・写真6)には男雛と女雛の二体、『絵本十寸鏡(ますかがみ)』(延享5年・1748・写真7)には四体の雛が男女交互並んでいて、段飾りはありません。
○秩父宮妃殿下旧蔵雛道具(写真8) 二年前の春季展での初公開に続いての公開です。それぞれの道具は箱に納められ、箱には「勢津子」(写真9)と記されています。「勢津子」とは秩父宮妃殿下のことです。箱に貼られた題箋(写真9)には「黒江屋製」の印が押されています。日本橋の黒江屋が雛道具を扱っていたことは、黒江屋の引き札(店紹介のパンフ・写真10)に、扱い商品の一つとして雛道具が記されていて、確かです。
○浅草海苔 人形の他に、貝合わせの貝、千代紙、浅草海苔包装紙(写真11)なども展示しました。浅草海苔包紙は初めての展示ですが、準備中に、永楽屋の包紙二枚(写真12)に、海苔が一枚ずつ残っているのが見つかりました。まだ、十分な調査はできていませんが、そのうちの一枚を、ほかの包紙とともに展示しました。